トムと凛太郎(R&T)の活動日誌

YoutubeやStand.fmで活動しているトムと凛太郎の活動日誌です。

欲しいものリストの公開について考えてみる 気持ち悪い?フォロワーが減る?

どうも凛太郎です。

と、いうわけでタイトルにもあるように欲しいものリストを公開することについて ネジがユルユルな頭で考察してみようと思います。

ちなみに、私たちは欲しいものリストの公開はしてないんですけど、
そういうので贈ってもらえるのって正直「羨ましい!」とは思いますよね。

ただ、欲しいものリストを公開している人に良い印象を持ってない人も多い様子。

というわけで、個人の感想(邪推)モリモリの考えを展開してみたいと思います。

欲しいものリストを公開している人に対する印象は?

欲しいものリストを公開している人、ちょくちょく見かけますよね。
しかし、「欲しいものリスト」の検索サジェストをみると「欲しいものリスト 気持ち悪い」というワードも……。

というわけで、まずは欲しいものリストを公開している人に対して、 どんな意見があるのかをチェックしてみましょう。

否定的意見

  • 自分で欲しいもの買えないくらい困ってるのかなって思う
  • 物乞い感がある
  • やってるのは底辺の人だけでしょ
  • 一次創作の人はいいけど、二次創作の人は「他人の褌で」感がある
  • なんか引く、フォローしないしブロ解対象
  • フォロワーを金づるとしか思ってなさそう

肯定的意見

  • なに贈ったら良いかわからない時とか、欲しいものリストあると助かる
  • 公開する人はしたらいいし、贈りたい人は贈ればいい
  • 微妙なプレゼントだと贈る側ももらう側も得しない
  • 差し入れや投げ銭の延長くらいの感じ

このほかにも、「特に何も思わない」「どんなのが欲しいのか興味で見ちゃう」などの意見がチラホラありました。

私個人としては、欲しいものリストの公開に関して「公開して、贈ってもらえたらラッキーだよね」とか「この人は公開してるんだー」くらいにしか考えてなかったので、欲しいものを公開することに関して皆いろいろ考えてるんだなというのが率直な感想です。

欲しいものリストは「承認欲求」で成り立つ

そもそも欲しいものリストを公開する理由ってなんでしょうか?

「プレゼントもらえたら嬉しい」というのはもちろんあると思うんですけど、
「不特定多数の人からプレゼントをもらいたい」「知らない人にプレゼントあげたい」という状況って現実ではほぼ無いと思うんですよね。
いろんな人と気軽に繋がれるネットだからこその文化ってところでしょうか。

そして、欲しいものリストを公開しているのって、YouTuber、VTuber、配信者、コスプレイヤーイラストレーター、同人作家などなど、ファンがつくような活動をしている方が多いのかなという印象。

まぁ、友達以外だったらファンくらいじゃないと「知らない人~プレゼント~云々」にならないだろうからね。

そんなわけで、欲しいものリストの公開は「不特定多数からプレゼントをもらいたい」→「ファンから応援されたい」ということだと思うんだよね。

ということは、欲しいものリストを公開することに誰かが否定的な意見を述べても、正直関係ないよねっていう。
だってその人に向けて公開しているわけじゃないから。
(未来のフォロワー候補やライトフォロワーは多少減るかもしれないけど、その影響力は未知数)

『発信者が欲しいものリストを公開する、ファンがそれを見て応援したいから贈る』
というだけ。うん、実にシンプル。

さて、なんか遠回りした感がありますが、
この贈る側と贈られる側には、どちらも「承認欲求」が絡んでるように思います。
贈る側は「認知されたい」、贈られる側は「誰かに推されたい」というね。
中には、無償の愛をプレゼントで表しているという方もいるかとは思いますが。

もちろん、推す・推されるというのは気持ちが大事だと思いますが、お金やプレゼントっていうリアルな形になると、ダイレクトに承認欲求が満たされるのはあるはず。
(まぁ、配信中のギフトとかYouTubeのスパチャを送って反応もらうのとほぼ同じだよね。)

実際、凛太郎さんは、昔ギフトカードとかお酒とかもらってめっちゃ嬉しかった記憶があります。
配信中に一番派手なギフトもらったときもありましたが、その後、ギフトくれた方が「あの瞬間めっちゃ最高な気分だった」的なことを言ってくれたのも覚えてます。

あ、隙自語すいません。

ちなみに、なんかいろいろ語ってますがあくまで個人の感想(邪推)です。

個人的な意見としては欲しいものリストの公開はアリ

こう、だらだらと語った結果、個人的には欲しいものリストの公開は全然アリだと思うわけです。

だって否定する理由がないから。

興味ない人が公開しててもなんも思わないし……
知ってる人が公開してても贈る・贈らないは見る側の自由だし……

一体どこに否定する理由があるんだい?(さわやかイケメン外国人)

欲しいものリストを公開したからといって、「もしやねだられているのでは……!?」とそこまで思うこともないでしょ。 そして、公開する側も「誰か送ってくれたら嬉しいなー」とか「話のネタになるなー」くらいでそこまで重く考えてないと思う。

というか、贈るわけでもない人が、欲しいものリストを公開している人を見て「物乞いみたいだな……」って考えてしまう思考もイマイチわからないんですよね。そこまで注目することか?って意味で。

あ、そういう風に思うのは自由ですし、「なんか幻滅した」というのもあるでしょうし。
(反対に「勝手に幻滅されても……」という気持ちも汲む凛太郎さんであった)

さすがに、公開したうえで定期的にツイートしてたり、マジでねだってくる感じの必死感があったりすると、「うーん……」とは思うけど……そんな人はごく少数な気がする。というか、私は見たことない。もしかしたら、興味がないから定期ツイートとかあっても流してるだけかもしれない。

というわけで、別段否定することも、それについて深く考えることもないので、私的にはアリだと思いますよ。
※欲しいものリストを公開する伏線ではありません。多分

「自分の心情的に公開したくない」という人は、公開しなくていいと思います。

承認欲求があることはマイナス?

欲しいものリストは承認欲求で成り立っていると言いましたが、「そんな承認欲求で大丈夫か?」と【El Shaddai - エルシャダイ -】みたいなことを思う方もいるはず。

なんとなく「承認欲求」と聞くとマイナスなイメージを受けますが、誰もが持っている欲求の一つなので決して悪いことではありません。

適度な承認欲求は、モチベーションの維持やパフォーマンスの向上などプラスに働いてくれます。ただし、強すぎる承認欲求は「対人関係のトラブル」や「褒められることが目的となり手段を選ばなくなる」といった悪影響を及ぼすことも……。

そのため、承認欲求のマイナスイメージは、強い承認欲求の被害から連想されたものといえるかもしれません。何事も適度が大事ってことですね。

承認欲求を抑えるには?

  • 承認欲求を持っているのは自分だけではないと考える
    承認欲求は誰もが持っている欲求です。そのため、自分の中にある「認めてほしい」という欲求を否定せずに、認めたうえで活動のモチベーションなどに活用しましょう。

  • 「人から」ではなく「自己」に目を向ける
    承認欲求には「他者承認」と「自己承認」の2つのレベルがあるとされています。
    他者承認とは「誰かから褒められたい」という欲求であり、自己承認とは「自分で自分を認める」こと。
    人からの評価は自分ではコントロールが難しく、評価に振り回されてしまう恐れがあります。
    一方で、自己承認は、技術の習得やスキルアップを通して、自分で自分を認めることが可能です。
    そのため、強い承認欲求を他者だけでなく自分自身に向けて、欲求のコントロールをしてみましょう。

  • 周囲との協力関係を築く
    承認欲求が強いと「自分が!」という姿勢になりがち。そこで、周囲と協力関係を築いて、助け合いながら成果を出すことを心がけてみましょう。協力しあうことで、自分第一の考えを落ち着かせながら、成果を出しやすくなります。

  • 複数のコミュニティに入る
    複数のコミュニティに入ることで、承認欲求を満たそうとするリスクを分散するとともに、金転換にもつながります。

欲しいものリストの公開の前にファンづくりを

さてさて、たいして深くもない話をだらだらと書いてきましたが、 結論としては「欲しいものリストの公開は自由!」ということですね。
少なくとも凛太郎さんは、無関心~肯定派です。

とはいっても、ただ欲しいものリストを公開しても意味がありません。
そう、「リストを見てくれる人」や「贈ってくれるかもしれない人」がいないとね。
つまり、ファンがいなくてはいけない、ファンを増やさなければいけないということです。

欲しいものリストの公開も、部屋の換気も、どっちも「ファンが必要」ってことですな。

欲しいものリストを作る前に、まずはファンを増やすコンテンツを作りましょう。 凛太郎でした。

相方のトムさんと共に、YouTubeで動画を上げたりStand.fm(通称:スタエフ)で音声配信をしたりと細々と配信活動をしていますので、そちらも是非によろしくお願いします。

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いつも御贔屓にしてくれている皆さん、ありがとう。